以前から細々と唱えている「空気を読む・読まないは単なる嗜好の違いでそこが似てる人同士が仲良くなるだけであって『読める』『読めない』とか評価しても仕方ないし『読めない』人が嫌われるのは単に少数派だからだよ説」の正当性について、ここ二、三日で少し自信を深めた。